あろは あひあひ かーこう
日本は新嘗祭ですね(古すぎっ)
こちらの新聞に「 Japan:『To Go 』a no-go」と
書かれていました。
23日までを日本の「Thanksgiving weekend」
だとしていました。元々は同じ感謝祭ですけどね。。
外国のコロナ禍の悪い様子がやたら書かれていて
ちょっとどうかな??と思いましたが。。
今朝のカハルウは満潮に向かう膨らむ海
毎回、違ったエントリーをするのも、いとおかし、
出来るだけ岩の上に立たないという原則、
泳ぐ前に滑って転んでというのは避けたいので、、
入る時は四つん這い、
出る時は満ちていたのでムツゴロー体勢。
77歳のアンクルも最近は、さっさと出入りできるようになって
泳ぐのも速くなって来ました。
何歳になっても人間は成長するものです。
好きこそ物の上手なれ。
浅瀬でホヌがバタバタして
藻をつついていました。羽ばたきホヌ。
今日はカハルウ湾内で初めて、、
「ハクテンカタギ」を見た記念すべき日
アンクルに指をさして丁寧に教えたのに
わからなかったようです。
初心者が松茸採りに行っても探せないのと同じかな。。
相棒さんと二人で「reticulated!」と言ってハイファイブ!
英語では網目柄の意味。
日本語では版画の白い点を刷る型の木ハクテンカタギ、
チョウチョウウオの一種、大抵2匹でいるのですが
今は、海中も寂しげな晩秋。
アロハを求めて、ひとり旅
ホヌが2頭、すれ違いました。まるっきりお互いを無視
付かず挨拶せず知らん顔、、の関係
アロ(顔)ハー(息) 全く無し。
おでこ同士をくっつけて、吐く息を交換する
Covidでは御法度のハワイ式挨拶が「アロハ」
ハグより「息の交換」が本当の挨拶でした。
昔は、アロハと言葉で言わなかったようです。
今日は、Pilahi Paki先生のお話
1910年にマウイ島のカアナパリで生まれたアンティ
オアフ島でツアーガイドとなりました。
その頃ハワイ文化は軽んじられていたので、
ガイドとして知らないことだらけだと感じます。
ある日、ハワイのことを学ぼうと訪ねた先生に見初められ
「自分の持っているものを全部あげる」と言われたそうです。
「何も要らない」と言うと
アンティの頭に手に置いて、マナを下さったそうです。
感電したかのように身体中震える衝撃を受けたそうです。
それが、きっかけで他の人にもマナを分け与えることが
できるようになりました。
コンサートの時にも、ステージからアンティPakiが送るアロハに
泣き出してしまうくらいのマナをもらう人がたくさんいたそうです。
アロハに満ち溢れた哲学者。
1970年代に、アメリカ化の影響、経済の波、、
ハワイアンたちは忘れていたアロハを取り戻す集会を開き、
アロハの意味を英語でわかりやすくする為
色々、意見を出し合っていた時、
アンティPakiはみんなの前でこう説明します。
A=akahai e nā Hawaiʻi ハワイの人たち、やさしさを忘れないで、
L=lokahi a kuulike みんなで一つになりましょう。
O='olu'olu ka mana'o 気持ち良い考え方を持ちましょう。
H=ha'ha' ko kūlana 謙虚さを基本としましょう。
A=ahonui a lanakila 忍耐こそ最後に勝つものです。
これが「aloha」のたて読み。
簡単に覚えられるので皆に受け入れられ、
今日までチャントとして伝えられています。
本当は二番もあるのですが、またの機会に
ロイヤルコナリゾートDonʻs Maitai Barの、海かぶりつきディナー
曇りの日は、心地よい海風が、、
晴れてたら暑すぎますが、、
アロハ〜と叫びたい夕陽、アリイ・ドライブにて
タダなのでロハ(これはもう死語ですかね)
野郎たち叫ぶヤローハワウヤーオエ
ヒナレアという面白い魚がいます。
幼魚の時と、成魚の色がどんな風に変わるでしょう?
マーラマ・ポノ🙏 マハロ八百万の神
ニラを食べて、暖かくお過ごし下さい。
ありがとうさんでした。 あろは〜