あろは まい かーこう
今朝は泳いでいる夢でご機嫌な目覚め
なぜか、東京の国道1号線が川になっていて
そこを泳いでいるのです。
半分、飛んでいるような、、
左肩が軽く回り、快適にスーイスーイ泳げて
「これなら5月の大会に出れるじゃん」と
東京弁で思ったところで目が覚めました。
泳いだのが御堂筋だったら
「いけるやん!」と思てたとこでしょうけど、、
今朝は、木星が輝いていました。
アロハシアターは1929年からサイレント映画を上映
1932年から「Tanimoto Theatre」という名で開業、
トーキー映画館としてコナの
コーヒー農家やワークマン(労働者)たちの
娯楽の殿堂となりました。
ホノム、ホノカア、パホア、とTanimotoシアターは
ハワイ島の劇場を手広く経営していたようです。
1939年にアロハシアターと改名
Theatreと英国式スペルなのが歴史の古さを
表しています、
月曜:日本映画
水曜:フィリピン映画
金〜日曜:英語の映画
というように英語が理解できない移民の為の
映画が上映されたそうです。
1949年に火事で階下が消失
タニモト家の住居が楽屋裏の2階に移り、
上映中や上演中に赤ちゃんの鳴き声が
したという話も聞きました。
その赤ちゃんは長じてコナワエナの
音楽の先生になりました。
日本からの歌手もたくさん来ているそうです。
戦後442部隊などの死傷者や家族の為に
12歳の美空ひばりさんが歌ったのも1949年
その後にもコンサートをしたそうです。
今でも美空ひばりファンがたくさんいてはります、
春日八郎も歌ってはります。
25年前、和太鼓のコンサートに行って以来
私のお気に入りシアター
フラのグループでステージに立ったこともありました。
こじんまりしてお客さんお反応が
よくわかる298席のシアター、
「マクベス」を観に行って難しすぎて爆睡、、
気がついたらマクデス、ってなこともありました。
シアターで飼っていた猫が、
上演中に舞台に飛び乗ったり、
アロハエンジェルカフェという併設レストランの
食事をしながら観劇できる、という時期もありました。
アロハエンジェルカフェのユニフォーム
ラナイで風を感じる食事ができ良かったなぁ。。
1927年の無声映画の映写機
シアターの前にずっと、置いてあって
誰でも触れるようになっていました。
去年の年末に、lōlō おばさんが
やって来て、破壊してしまいました。
チケット売り場の窓も壊したそうです。
今週末と来週末、「Little Shop of Horrors」
の上演がありますが、
このシアターは風が通るので
密にはならないかな、、
アロハシアター、がんばって〜
シアターのアシアトたどる古き佳き
今朝のクアベイ(マニニオーワリ)にて、
知らない人だけど、素潜り姉さんがお母さんと一緒に
フィンなしでグビグビ潜ってはって
ちょっと感動しました。
私も、何とか、腕が上がるようになり
正夢までは行かないけど、いいインスピレーション
水中は、クジラの声が満開
30分ぐらい、ずーっと聞き続けました。
「モ〜〜」とか「キィ〜〜」とか
すぐそこで歌っているように聞こえました。
上がって上から見ると2頭ずつ2箇所で
潮を吹いていました。
マーラマ・ポノ🙏 まはろなーあくあ
くじらさん、おおきに〜
9時だ、ねましょ
読者さま、おおきに〜