KonaHawaiiのブログ

ハワイ島コナの自然とハワイの文化、徒然なるままに

キムラ・ラウハラ・ショップ Kimura Lauhala shop

あろは あひあひ! 

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今朝はハワイ島で一番綺麗だと言われる
マカラヴェナへ行って、、ゴミ拾いをする羽目に、、トホホ

いい運動になりましたが、腰にきました。

 

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今日はアルフリーダの誕生日、に因んでキムラ・ラウハラのお話。

亡くなる3ヶ月前となった写真。

後ろの棚にはラウハラのバッグが並んでいます。

Alfreda Fumiko Kimura Fujita さんは1926年11月18日生まれ。

2017年7月に急逝されています。

 

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4代目のオーナーが、たまたまお店を開けるところでした。

初代は、ヨシマツ&トモ・キムラ、山口県周防大島の出身。

ヒロのサトウキビ・プランテーションで1年働いた後

コナに来て、1914年に 「Y. Kimura Store 」を開業しました。

100ポンド(45kg)の米袋、干し魚、味噌、醤油、缶詰、

靴、ランタン、石油、毛布、お菓子、、、、

よろず屋さんでした。

 

ハワイアンが編んだラウハラの帽子を持って来て物々交換、

その帽子が、サトウキビやコーヒー農園で働く人に人気となり

当時はコナよりずっと大きな町だったホノカアから、

わざわざ買いに来る人もいたほど。

パパレ・ラウハラ(ラウハラ帽子)のヒットで

他のラウハラ工芸品を置くようになりました。

 

第二次大戦中は、軍人のハワイからのお土産品として

ラウハラ製品の人気が高まりました。

 

現在、旅行者にも地元の人にも

ラウハラの工芸品を探したり、

「トーク・ストーリー」をする憩いの場所となっています。

 

店先に置いてあったソファに 2代目のツルさんが座っていて
トーク・ストーリーをしていたのは、20年ぐらい前。。

ツルさんは、最後にフィリピンの人が経営するケアハウスに

入ってはって、私は何回かロミロミをさせてもらっていました。

 

3代目のアルフリーダさんにも、ずっとロミロミを

させてもらっていて、こちらが元気をもらっていました。

「食べなさい」と言われて、いつもご馳走になっていました。

90歳になっても、ロミロミの後に小切手の日付を

サッサと間違わずに書いてはりました。

その後、晩ごはんも。。。

 

アンティーのご馳走食らうハラ一杯

 

1930年ごろの移民の日本語は「食え」「食べろ」が普通に使われ

「食べなさい」は敬語だったみたいです。

アイロンのことは「火のし」、キャベツは「玉菜」

 

f:id:KonaHawaii:20210108084738j:imageキムラ・ラウハラ・ショップの脇からは

カイルアコナの街が一望できます。

 

ホルアロアの町の入り口にあって、

町の庄屋さんち、みたいな存在感があります。

コナにいらしたら、寄ってみんしゃい。

日曜月曜休みです。

年中無休のドリス・プレースもすぐ近くです。

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 さて、ここはどこでしょう?

ロコのサーファーなら、すぐわかりますが、、

 

ヒロの男性がカヌーを漕いでいたら、ダツという魚の大群が

周りを飛び交い、カヌーに突き刺さり穴を開けられたそうです。

きちんと刺さったままだったので、水が入らず

無事に帰れたとのことです。自然の脅威。。

 

マーラマ・ポノ🙏  まはろ なー あくあ

今日も無事で海から帰れてありがたいことです。

よかったよかった、

Stay Healthy! おおきに〜