アロハ・アヒアヒ!
今日から三日間のラアウの月
ラアウ・クーカヒ 月の出は午後9時40分
昨日は満月にマンタに満足の日だったので
今日は散歩だけで、王様の命日を偲びましょう。
カメハメハ1世は1758年にハワイ島コハラで生まれ
1819年コナ(カイルア)のアフエナヘイアウで
5月8日の早朝に亡くなったそうです。
カロコ・ホノコハウ国立公園の夕陽です。
カメハメハ大王のお骨はこの辺に隠されているようです。
(一部はホノルルの王族墓地に移されているそうですが)
ここが国立公園になったのは王族のお骨を収めた場所が
開発されないように、コナの人たちが考えたからかと思います。
”大王のお骨がどこにあるかは明けの明星だけが知っている”
と書かれています。
大王はコハラ→コナ→ラハイナ→ホノルルと移り
1812年カイルアに帰って来て
カマカホヌにアフエナ・ヘイアウを建て(再建?)そこを
中心として余生を過ごしました。
1814年頃カメハメハ3世となる息子のカウイケアオウリ、
1815年には娘のナーヒエナエナが生まれていますから
まだまだ壮年期だったのでしょう。
最後の頃の様子をハーブ・カネさんが描いた大作の絵です。
カメハメハホテルのロビーに掛けられています。
王の象徴、羽のマントを息子のリホリホに譲り、グレーっぽいカパ(不織布)を
たすき掛けに巻いているだけです。手前は平民がアヒ(キハダマグロ)を捧げている
ところです。左は若い女王のカアフマヌです。
文字が定着していなかった頃なので、カメハメハのスペルは色々ありますが、
サインとして残っているのはTamehamehaとTが使われています。
カメハメハは多分自称”タメハメハ”だったのかもしれません。
”カ” も ”タ”もThe を表します。メハメハは”寂しい”と言う意味
”寂しい人” という意味だったのです。
産まれた直後、母親から引き離され遠くへ連れて行かれて
お母さんのお乳を飲まずに育ったからです。
王様には、他の人から嫉妬されないように、
良くない名前をつける習慣もあったそうです。
アフエナに祀られているロノの神の白い塔と、4大神のティキです。
頭の上はコレア(ムナグロ)という鳥でヒーリングの神だそうです。
オリジナルの像はビショップ博物館などにあります。
この木彫りの作り方はコナ・スタイルと呼ばれています。
口が8の字で睨みが効いていて膝が曲がった、凄みのある彫刻。
200年以上、太陽や波風、シロアリにも耐え抜く作りです。
カメハメハ大王はハワイの全部を自分の領地としたのですから、
どこでも終焉の地として選ぶ自由があったはずです。
カイルアを選んだのは、
フアラライ山の懐にいるような安らぎの地、
外国船も来やすく、軍港としても役に立つ湾、
魚、湧く穏やかな海とウル(パンの木)や芋が豊かに実る大地、
全てが大王のお眼鏡に叶ったからなのでしょう。
そんなこととはつゆ知らず、全く自分の意思ではなく偶然に
ここに住むことになった私は何と言う果報者かと思います。
カイルアに早く帰るわ、旅嫌い
コナの海岸でハワイアンモンクシールが
元気な赤ちゃんを産んだそうです。
ビーチが静かなのはいいことです。
マーラマ・ポノ🙏
マハロ〜皆様! マハロ〜!八百万の神々!