あろは あういならー
曇天なれど波低し、
サーファーが1人もいないし
タイミングよく満潮、
カハルウ湾の北の端、
Herman’sまで往復。
昔Hermanさんの所有地だったからでしょう。
カハルウのサーファーが目印にするポイント、岬
日本はこれでもか、と大雨が続いたようで
被災地の方のご苦労はいかばかり。。。🙏🏻
コナは戦前の1940年頃まで日系人の人口が
全人種の45%以上だったそうです。
アメリカで40%と言えばマイノリティーではありません。
さらに、その内の8割が熊本、福岡出身者の家族
だったと言います。
広島、山口出身者と熊本、福岡では方言がかなり違って
意思疎通がうまくいかないせいで
熊本、福岡の移民をコナにまとめて
牧場の下働きやベビーシッター、洗濯女
などの仕事に振り分けていたそうです。
コーヒー園が、小規模に分割され日系人に
リースされるようになってから
家族でコーヒー園の小作農となった人も
増えたそうです。
ある年、熊本は八代郡出身の移民の息子さんが2人
相次いで亡くなるという、ご不幸がありました。
翌年、その初盆を記念して一族の人たちが
盆踊りを踊ったのがきっかけだったそうです。
ケエイ本願寺というナポオポオ・ロード近く
サウスコナのMiddleKeei Rd.にあるお寺です。
コナの盆ダンス発祥のお寺。
今年は全て中止、なので回想録
2年前の写真、、
最近は高校生のディスコとしても機能している
ハワイの盆ダンスです。
ティーンエイジャーが夜遊びに行くところが無いし、、
運転できないとどこへもいけないので、、
この日ばかりは大手を振って10時過ぎまで
はしゃげます。
この真ん中の子のお母さんとお兄さんは
ズンバの先生
左がママ、着物が兄貴、彼は盆ダンス・キング
ズンバの曲が早すぎてピンボケ写真ですみません。
これはコナ本願寺、ミラーボール付き、ズンバ付き
私は自称盆ダンス・クイーン
どこのお寺でも、一曲も休まず3時間ほど
踊りまくります。一つのお寺で30曲ほど
ディスコのように次から次へと違う曲
なので、練習が欠かせません。
体力も、ものをいいます。
誰にも頼まれもしないのに、、、
というわけで盆ダンス中は、写真を撮る暇なく
踊り続けるので、18年の間、写真を一枚たりとも
撮らず、、、
4枚の浴衣と3本の帯を組み合わせて
8軒のお寺のハシゴを毎週繰り広げておりました。
帯までびしょびしょになって、、、
でも、帯は優れものです。
いくら、汗をかいても、雨に降られても
お腹と、腎臓が冷えることがないのです。
疲れても背筋はビシッと伸びたままです。
Hawiとかでは、にわか雨が多いのですが、
手ぬぐいで頰被りすれば完璧。
コハラ本願寺の会場の門、怪しい光で飾られ夜の殿堂?!
この地域のフラの大御所一家のママもいらしていました。
クリスチャンの人も踊ったことのない人も
輪の中に入って楽しめるハワイの盆ダンス。
踊るのが大の苦手だった私の性格を
豹変させたのも、コナの包容力いっぱいの盆ダンスパワー
海の方を向いているケエイ本願寺のお墓 🙏🏻
無人のお寺なのでお墓にも勝手には行けません。
盆ダンスの日だけ門戸開放、
夕陽を受けて、、、右はTi leafの木
墓石に出身地が彫られていました。
八代郡を始め熊本の方が目立ちます。
八代亜紀さんの出身地ですよね。
芸達者な人が多いようです。
ここのお寺にはモンキーポッドの木があり
その周りを回って踊ります。
盆ダンス1部と2部の間に、ご馳走がふるまわれます。
この一年に亡くなった方々の為に
今夜は自宅でお線香を焚いて
カチャーシーとフラ踊ります!
昨日行ったケアラケクアの家から
海の道と夕日がくっついたところです。
マーラマ・ポノ🙏 お大切に
お腹を温めて免疫力あげて、お過ごしください
マハロナーアクア、皆様ありがとうございます。