KonaHawaiiのブログ

ハワイ島コナの自然とハワイの文化、徒然なるままに

ホクレア Hōkūleʻa(カヌーの名)

あろは まい かーこう(皆さんに、あろは)

ペヘア‘オエ? 

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2018年3月カイルア・ピアにて

2014年から2017年、世界あちこち一周を終えた

ホークーレ’ア号がコナのに来た時の写真

船尾にホオクプ(お供え)を飾っています。

私もティーリーフのレイを持って行きました。

教育の一環で一般公開、中まで見せてくれました。

 

2007年には日本女性がクルーの一員に選ばれ

日本のあちこちに寄港しています。

ナイノア・トンプソンが航海長でした。

その後、ホノルルで彼の話を聞く機会がありました。

 

「日本は、海から見る姿が本当に美しい所です。

日本の方は、ぜひ故郷の姿を海から見てみてください」

と、感慨深げに語っていました。

富嶽百景でもお馴染みですが、富士山は波間からが

一番、綺麗なのかもしれません。

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泳ぎながら、カイルア湾のご来光、

ここからのフアラライ山は富士山にちょろっと似ています。

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Hōkūleʻa の意味は 「喜びの星」

英語でアークトゥルス、牛飼い座で一番明るい星、

それを目指して、古代ポリネシアンが

ハワイイにやって来たそうです。

 

1976年は、ハワイアン・ルネサンスと言われる

画期的な年です。

Hōkūleʻaが、マウイ島のホノルア湾から、

31日半かかってタヒチまで古代航法で

たどり着いたのでした。

ミクロネシアの、生き残りナビゲーターである

マウ航法師の下(もと)で

朝日、夕陽、星を読み、わずかな睡眠時間で、

エンジンも海図もコンパスも近代航海器具を何も使わず

タヒチに行く、という快挙が成し遂げられたのです。

 

これには「先進国」の人たちもビックリ、

急にポリネシアの文化を見直し始めたのでした。

 

ホクレアは1978年にはモロカイ島沖で遭難し、

エディ・アイカウが行方不明になるという悲劇もあり、

必ず伴走船が付くことになりました。

 

1980年にはナイノアが中心となり、

マウのやり方を踏襲しながら

独自の航海術を習得し、タヒチまで往復したのです。

歴史が蘇ったのでした。

 

真珠湾攻撃のすぐ後から、急にアメリカ化され、

州に制定された後は、ハワイ語もハワイ文化も

奥にしまい込み、名前もハワイ語を名乗ることなく

アメリカ人にされていたハワイイアンたちが

アイデンティティを取り戻すきっかけとなりました。

 

ホクレア号 旅を続けておくれやす

 

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今朝のカハルウ湾、犬かきを終えて上陸したイーリオ君。

波が無くサーファーが1人もいないので、スイマーたちは

この岬の近くまで大手を振って往復。

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カハルウ湾の真ん中。

南半分は波よけ岩に囲まれ、養魚池のようです。

北半分はサーファーズパラダイス。

外へ行く時には、この三角のメネフネ岩を目指して泳ぎ

さらに遠巻きに波の低い所を通り抜けます。

メネフネ岩だけでなく、全部の岩を並べたのは

メネフネだそうです。

コナのメネフネは他にどんなことをしたでしょう?

 

マーラマ・ポノ🙏 マハロ ナー アクア 

スイカが美味しいですが、揚げ物の後に食べないよう、、

お腹を冷やさぬよう、、、ご健康をお祈りしています。