あろはロノイカマカヒキ
(今のハワイ新年の時候の挨拶)
大福寺のメンバーの方が一晩行方不明になり
次の日の午前中に見つかったそうで、、
良かった良かった。。。
コナで家庭を持っている娘さんに呼び寄せられ
日本から引っ越していらしたお母様
日本に帰りたくなって、居ても立ってもいられない
ことが時々あるのでしょうか・・
何だか将来の自分を見るようで身につまされます。
🗳️
昨日はハイウェイの一箇所で騒ぎ立てていた選挙戦
ウチの下なので賑やかでした。
こちらは賛同者がホンク=「車のクラクションを鳴らす」
という意思表示をするので、、
サン・セットと同時に静かになりました。
ここ数日、夕立が多くこんなサン・セット
クーカヒの三日月と金星
🏄️
ケアウホウのカハルウ側に
「サーフ&ラケット」という
ゲート付きのコンドミニアム・コンプレックスがあり
2階か3階建てが何棟も建っています。
プール&テニスコート完備
建った当時はテニスの全盛期
そして「ハワイの文化より開発」の時代
史跡扱いにならず、
テニスコートや駐車場などに整地され
今はそれらしきものはあまり残っていません。
本当は、それはそれは由緒ある地域でした。
最近はこんなサインが立てられています。
15世紀にワイピオから来たウミ王が
ここに住居を構えました。
息子はケアヴェヌイアウミ
その息子のロノイカマカヒキもカウから移って
住んでいたそうです。
1700年頃できたハワイの創世神話、クムリポは、
ロノイカマカヒキ王子の誕生を祝う為の叙事詩
闇、混沌から始まる長い長い創世記
クムリポやウミの子の為うみ出され
1778年キャプテン・クック来島時の王
(アリイヌイ)であるカラ二オプウ
その孫のケオプオラニと結婚した
カメハメハ1世
も、住んでいたという
300年も続いた王家の住居
日本なら江戸城跡?皇居?
だったのです。
サーフ&ラケットの敷地よりも広かったらしく
マカヒキのスポーツ施設等も作られていました。
カハルウ湾沿いにはプナワイ=湧き水スポットが
たくさんあるし
アリイ達が好んで入浴した真水の池もあります。
浅瀬は魚の宝庫
山にはいつもウルが実っていました。
この辺は平民の住めない高級住宅地だったのです。
今はこんな感じです。
カハルウ側、北隣にはケエク・ヘイアウと
ハパイアリイ・ヘイアウが並んでいます。
復元されたハパイアリイ・ヘイアウは
太陽暦の暦の儀式にも使われています。
ケエク・ヘイアウは
ロノイカマカヒキがプウホヌア(駆け込み寺)として
建てた物だそうですが
ルアキニ・ヘイアウとして使われ
生贄を捧げていたそうです。
現在、この2つのヘイアウを含め、
ハワイアンカルチャーセンターが
造成されているところです。
カハルウビーチ側
アリイドライブ沿いのゲート
3年前に開園する予定でしたが、、💦
ビーチのサーフ&ラケット側
この辺にはペトログリフもあります。
前の海を潜ると神々しいアーチが3つ
重なっています。
洞窟もあるそうです。
レジェンドがずら〜っと住んでいた場所
カハルウ近辺は霊験あらたかスポットでした。
コナには、まだまだ知られざるパワースポットが
ありそうですね。
マーラマポノ🙏 まはろなーあくあ
まはろコナ