あろはかかひあか〜
一昨日のケアラケクアの夕陽
ヤシの木のシルエットが醸し出す熱帯安楽感
ヤシの葉はドサッと落ち、
運ぶのも嵩張るし、、花も種も重いし、、
自分の家にあると処理に体力を使います。
昨日はRav4にgreen wasteを詰め込んで
捨てに行きました。
ピックアップトラックに引けを取らない量の
ゴミが運べます。
👘
夕方はハヴィの浄土寺で5年ぶりの盆ダンス
張り切って友達と二人、浴衣を着て出かけました。
ウチから1時間以上の背中オビ押し運転
着いたら本格的な雨、、
ハヴィに着きヘヴィレインに迎えられ
車の中で少し待っていると
うっすら陽が差して来て・・
隣の教会の方に虹が出ました。
6時から室内でRMD=「琉球国祭り太鼓」の
パフォーマンスがあるというので
まず、ホールの方へ行きます。
階段を登ると
昔の日本語学校の教室だった建て物があります。
1926年に最初に建設されたそうです。
エイサーを2曲、見せてくれました。
戦争中この建物は軍に接収され、
戦後は軍人会の物となり
1981年にやっと浄土寺に戻され
大改修が行われたそうです。
今は沖縄県人会やRMDが利用したり
浄土寺の新年会で使ったりしているそうです。
盆ダンス広場に戻ると、、
虹が大きくなっていました。
オープニングのワンサ先生のお祈りと同時に
雨も止み、浄土寺を祝福するかのような
光輪の降臨
天からすっぽり包まれて・・
コハラは大規模の
サトウキビプランテーションがあり、
鉄道も引かれ
マーフコナという港を中心として
街が広がっていました。
浄土寺だけでも2ヶ所にあります。
1900年ごろお寺の礎ができ
1905年に日本語学校が開校
1906年に教室ができ
1909年に仏像が祀られお寺として開山
1932年、今の場所に移築され、
この手水舎(ちょうずしゃ)も造られました。
こちらが本堂
この建物も、
やはり1941年真珠湾攻撃の後に軍が接収
戦後はお寺として賑わっていたようですが、
今は普段、無人になっています。
中に入ると、、
お盆なので飾り付けがされ
翌日のマーフコナでの舟流しの為の
手作りの木の舟が飾られていました。
欄間も立派
額の漢字は「明照」
かつてはサイドのベンチも必要なくらい
メンバーがたくさんいたのだと思われます。
今や30名足らず・・
お坊さんはスリランカ出身で日本で修行をなさった
ワンサ先生、コハラとハマクアも掛け持ちで
回っておられます。
ホノルルに住んでいるメンバーもいたり
5年の間に他界された方もいてはります。
私は2014年からサンシン・ライブに釣られて
来るようになりました。
が、今年はライブ音楽無しで残念💦
芝生で盆ダンスをする貴重なお寺
時々にわか雨、浴衣は私と友人のみ
琉球絣にウチナー手織りの帯
2人で目立っていました・・
半分ほどの曲は
コナの大福寺とも本願寺とも
違っていて私はポンコツ踊り
雨に濡れたり
アーパアパアの風に吹かれると
寒い、ので浴衣姿がいないわけです。
こんな真冬の格好のケイキもいました。
ノスタルジックな一夜でした。
男性で踊っている人は日系人がいなくて
白人が多いのも面白い傾向
最後に「お接待」も振る舞われ
このお寺のマナをもらったようで
元気凛々になりました。
ウチナンチュの人たちが
中心になっているのもいい感じ
🎵あしびな〜🎵の歌で踊りながら
「いやささ〜」と言えば
「あいや!」と5、6人の合いの手が入り
いと嬉し。 コナでは私1人で孤独でした。
いっぺにふぇでびる おおきに
マーラマポノ🙏 まはろブッダ
皆様、いっペーにふぇでーびる
穏やかな8月でありますよう