KonaHawaiiのブログ

ハワイ島コナの自然とハワイの文化、徒然なるままに

カウプレフ Kaupulehu(北コナの地名)

あろは あひあひ〜

円安が1ドル=152円まで行くとは、、

日本は輸入を控え、輸出を推し進めればいいと

素人の私は思うのですが、

そう簡単には、いかないのですかね。。

 

今朝の月はカーネ、明朝はロノ

ハワイアンカレンダーの年末

残すは4日となりました。

新月前の月は、昼間ずっと空にいて

私たちを見守ってくれています。

昨日の日没後、6時23分

人形劇みたいに雲がにょこにょこ出て来ました。

今日もサンセットが雲で遮られていた分

6時8分にこんな色が出ました。

 

今日は客船でなくこんな軍の船が、、

私には不気味に見えますが

普通のアメリカ人の目にはカッコよく

映るのかもしれません、、

 

昨日はFeアイアンマンさんの

レース完走祝いで4シーズンホテルの

「’ウル」にブランチを食べに行きました。

Feアイアンマンはfemale=女性、とFe=鉄

朝、6時からプールで泳ぎまっくてから

来たそうです。

疲れ知らずの鉄の女・・・

朝、9時ごろまではマウイ島が

はっきり見えました。

この後すぐ雲がかかってきましたが、、

 

隣のテーブルの人が立ち去ったと思ったら

すかさずスズメのパーティーが始まりました。

限りなくフィンチに近いスズメ

街中では見かけなくなったけど

こんな所で繁殖していたようです。

 

この辺の地名はカウプレフ

4シーズンホテルは

Four Season Resort Hualalai,Kaupulehu

という長い本名があります。

カウプレフという由緒のある名を

きちんと名乗り、フアラライ山

ハワイの歴史・文化を尊重する姿勢を

保ちたいという心意気が現れています。

ホテル内の喫煙所もPaka Place と

ハワイ語混じり

カルチャーセンターでハワイ文化に

触れることもできます。

 

カウープーレフはカ’ウルプーレフが訛った言葉

ウル(ブレッドフルーツ)を焼いていた

2人のワヒネの物語が由来

 

昔々、マヌアヒという村で

パーヒナヒナとコロム’オという名の女が

ウルを焼いていました。

(日本人ならご飯を炊いていた、というところ)

パーヒナヒナは女神ペレの為に

コロム’オはラ’イという両親の守り神の為に

料理していました。

そこへ見慣れない老女がやって来て

2人に「ウルを分けてくれ」と言います。

パーヒナヒナが「ペレの為なので

あげられない」と言うと

「では、私たちの物だ」と言います。

パーヒナヒナが分けてあげると

「あなたの家にレパ(目印)をつけなさい」

と言われます。

一方、コロム’オは老女にウルをあげませんでした。

 

その夜パーヒナヒナの両親は

家の戸口に印をつけてから寝ました。

夜中に、フアラライ山の噴火が起こり

溶岩がマヌアヒの村を焼き尽くします。

目印を付けた一軒の家を除いて、、、

それがパーヒナヒナの家だったのです。

 

老女は、実はペレだったのです。

外見の悪い老女にも優しくしてあげましょう。

いずこも食い物の恨みは恐ろしいのです。

 

老女にも若くもなりうるペレにウル

 

それから、このあたりをカウルプーレフと

呼ぶようになりました。

カ=冠詞

ウル=ブレッドフルーツ

プーレフ=窯

1801年の溶岩、この辺への流れは

「カウープーレフ・フロー」と呼ばれます。

 

カウプレフビーチの一角

 

マーラマ・ポノ🙏  まはろなーあくあ

まはろペレ様 穏やかな週末を

まはろぴは