KonaHawaiiのブログ

ハワイ島コナの自然とハワイの文化、徒然なるままに

Kenesaburo Oshima 大島兼三郎さんのこと

あろは あひあひ〜

 

昨日はアイアンマン恒例の下着ラン

日本男児十数名が、iMのロゴ白抜きの

赤フン(ふんどし)で

ズラーっと並んでいるFBの写真を

日本の友達が送ってくれました。

ふんどし姿を横から撮ると

めっちゃ脚長に見え、かっこいいですね

大和魂ここにあり

ハワイも「ふんどし文化」を共有しています。

 

アイアンマンレースは

いよいよ明日が女子、そして

25歳〜29歳シニア男子のレース

 

90歳の稲田さんは招待を受けて

選手ナンバーまでもらっていたのに、

自力で出場権を得たいので、と

辞退しはったそうです。尊いです。。

   💦

 

今日は達磨忌

6世紀初めの座禅の元祖、面壁九年の達磨大師

10月5日?に150歳?で亡くなったそうです。

今月の大福寺のお参りは

ダルマさんの修行を思い起こすこと、

それと、先生(住職)のお祖父様の慰霊。

 

先週、カリフォルニアの日系人博物館で

行われた慰霊の儀式に先生が

招待されましたが、

彼女のお祖父さんは特異な

亡くなり方をされたそうです。

 

第二次世界大戦で日系人が収容所に

送られた話はよく知られています。

ハワイの日系人では、リーダー的存在の人だけ

収容されました。

オオシマ・ストアの店主だった

大島兼三郎さんは、真珠湾攻撃の日の夜

いきなり身柄を拘束され、

妻と11人の子供から引き離された後

キラウエアの軍の施設→オアフ島→

オクラホマ州のFortSillへと、移動させられます。

スクリーンの画像は若い兼三郎さん

手前は、ひ孫さん

お孫さんは、この写真を見て育ったそうですが

どういう人なのか

よくわからないままだったそうです。

1884年長野県生まれ。

長野にも大島村があったのですね。

フォートシルには

700人ほどの日系一世が収容されました。

そこに来て数ヶ月が経った

5月12日のことでした。

 

兼三郎さんが花札をしている時

「うちに帰りたい」と言って

歩き出したのだそうです。

鉄条網のフェンスへ向かって行きます。

当然、警備兵が銃を構えます。

そこにいた日系人達は「Don't shoot !!」

と叫びましたが、警備兵は引き金を引き

兼三郎さんは、背中を撃たれて

亡くなってしまいます。

 

収容所には色んな宗派のお坊さんが

90人はいたそうで、お弔いをしてもらい、

大福寺にお墓が建てられたそうです。

 

大島さん無言の帰還大島へ

    (ビッグアイランド)

         

当時のコナでは誰も兼三郎さんの話を

しなかったそうです。

 

家族に挨拶もできず、店のことも気がかり

いつ帰れるのか皆目わからず、

恋しいコナを思い、気も狂わんばかりだったの

だろうと推測されます。

 

何であろうと背後から撃つのは

人道に反し過ぎ。。

 

FortSillは、インディアン戦争の時に造られ

かつてジェロニモという

有名なアパッチが収容された所

その後もたくさんの

ネイティブアメリカンが憂き目にあった

因縁の地でもあったのでした。

 

2019年にやっと兼三郎さん達や

ネイティブアメリカンへの慰霊の

式典が営まれ、

最近、日系人博物館の慰霊帳に

名前が載せられたそうです。

彼も民間人戦死者の1人でした。

     🙏🏻

秋空に赤とんぼが飛んでいました。

水中飛行のホヌさん

 

マーラマ・ポノ🙏  まはろ なー あくあ

明日のレースが楽しいものとなりますよう

Stay Safe everyone

ありがとうございました。