KonaHawaiiのブログ

ハワイ島コナの自然とハワイの文化、徒然なるままに

ヨシ子さんの思い出

あろは あひあひ かーこう

 

このところ日の出がずっと5時44分、1番早い時期

6月14日から、5時45分と遅くなって行きます。

日の入りは6月26日から7月13日頃まで7時6分で

一番遅い期間が続き、夏至がよくわからないコナ

多分、太陽の位置でわかるのでしょう。。

ほぼほぼ定点観測のサンセット

まだまだ北に少しずつ動いています。

 

なぜか好子さんの夢を見たので

神様のお告げかな、と思い

忘れないうちに思い出話。。。

 

夢と言っても、後ろ姿が出て来ただけですが、、

好子さんの家に上がり込んだ私が

オルガンを見つけ、弾きまくっていました。

キッチンにいる好子さんに挨拶もせずに、、

「挨拶ぐらいしないと」と思っているところで、、

猫に起こされました。

 

1926年に生まれた好子さんは

ずっとハワイ州で暮らし

2019年にコナでひっそりと亡くなりました。

94歳の人生の最後の16年間

親子のように過ごさせてもらいました。

 

91歳の時、座禅が終わってテシマ食堂で
Short Stuck(パンケーキ)の朝食に

キャンドルを突っ込んで火をつけたところ、、

店にいた人が皆、♫ハッピーバースデーを

歌ってくれました。

テシマのママともいいお友達でした。

シニアグループの誕生日会

大福寺の御詠歌のグループの集合写真を

パネルにしたものを撮った写真

若くしてご主人を事故で亡くし

女手一つで子供四人を育て上げた頃、

コナワエナ高校の事務のお仕事をしてはった頃かな、、

 

リタイアした後は1エーカーほどのコーヒー園を

たった一人でケアしていました。

コナ・コーヒーファーマーなのに

毎朝インスタントコーヒーを飲んでいました。

貴重品の商売物は自分の口には入れないのです。

 

ホノコハウ小学校に通っていた時は

頭が良くて飛び級をしたそうです。

その頃の日系人の子供が大抵そうだったように

日本語しかできない両親の通訳をしていたそうです。

 

歌もピアノも上手でした。

座禅は大福寺の座禅が始まった

1989年頃から30年近く続けてはりました。

 

車で崖を真っ逆さまに落ちる事故を

起こしことがありました。

大きな木に当たる手前で

ピタッと止まったそうです。

運転席だけが壊れなかったそうです。

一人で車から出て、崖をよじ登って来て

擦り傷ひとつ無かったのには皆びっくり

車はクレーンで釣り上げられ廃車

好子さんはニコニコと「観音様のおかげです」🙏🏻

 

そのあと10年くらいは私が送り迎えをしていました。 

好子さんが待っていてくれたから

怠け者の私でも早起きして毎週座禅に通えたのでした。

運転したのは私ですが

「連れて来てくれた」のは好子さんでした。

 

「あんた、ウクレレ遊ぶの?」

と、英語のplayを直訳で使う日系人語

「今日、P.O.に連れて行ってもらえる?」

Post Officeのことを日系人はP.O.と呼んでいました。

 

座禅に来る人たちが勝手なことをしているのを見て

心を痛めていました。

途中で立ってトイレに行かないのが「当たり前」

ソックスを履かないのが「当たり前」

現代語なら、「当然、まっとう」の意味に

あたりまえ、を使ってはりました。

 

息子さんにものを頼むのは気がひけるらしく

何でも私に頼み、お礼だと小切手を下さいました。

その内の何枚かは換金せずに置いてありますが、、

昔の女性は、夫や息子に頼み事をしなかったのでしょう。

 

好子さんよしこいどこでも行きまっせ

 

と水曜日は座禅の後も一緒に過ごしていました。

私のことを親友みたいに思ってくれて

「あんた、戦争の時は何しとった?」と

聞かれたことがあります。

私はまだまだ生まれていなかったので

笑って誤魔化しました。

 

私が御詠歌を始めたので好子さんが喜んで

夢に登場してくれたのかも、、

下手くそだけど何とか頑張ります〜

 

ハワイではもう、お盆のシーズン

夕陽を見ながら思い出を辿ってみました。

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今日も無事に過ごせておおきに〜
いろいろな人たち物たちのおかげです。

 

マーラマ・ポノ🙏  まはろ観音様

穏やかな週末でありますよう、、ありがとうさん〜