あろは かかひあか かーこう
夕べは雲間から、ほとんどアクアの月が
出て来てくれました。
近くに土星も来ていました。
Kona Hotel(イナバ ホテル)は
先月末に95年の歴史を
閉じてしまいました。
ピンクホテルとしてホルアロアのランドマーク的に
君臨していましたが、、
世界一?眺めの良いルア(トイレ)があって
何回か使わせてもらいました。🙏🏻
玄関先には赤いベンチが置いてあって
トーク・ストーリーの場、おばあさんも
日向ぼっこをしていたり、、
イベントの時、駐車場がコンサート会場、
飛び入りでフラを踊ったり、、
そういえば、お孫さんと
フラシスターだった時期もありました。
3代目のご家族にはハワイアンも
ホルアロア・クリスマスの時
オープンハウスで中に入らせてもらいました。
2013年の写真
木で、できた窓枠、味のある部屋
昔、知り合いが長期で住んでいました。
その当時は一泊$20ぐらいだったような、、
カイルアコナの街が一望でき
涼しく気持ちの良い場所、
最近もアーティストが住んでいたり、
一階はお店になっていたり、、
去年2代目のやよ子さんが94歳で
亡くなってから、ご家族で話し合って
売ることにされたそうです。
今、新しいオーナーの方が改築を
始めてはるようでした。
「Mamalahoa Highway」という写真集の写真
先代の火照る情熱朝日受け
いなば(因幡)ぜんたろうさんは、
ハマクアのサトウキビの農場で働いていて、
過酷な労働や差別から逃げるようにして
ペペエケオから歩いてコナに来たそうです。
そして、ドイツ人の家族の料理人として働き
コーヒー農園も始めます。
27年後の1926年に、はつよ夫人と共に
コナホテルを創業。
8人の子を育てながら
事業を成功させ、
2代目の、ごろう・やよ子夫妻が後を継いだのでした。
ごろうさんは第二次大戦中、若くして
442部隊で戦っています。
宣伝をせずとも、お客が途切れることが
なかった時代、、
クアキニハイウェイができる前は、
船着場のカイルアコナより、
ホルアロアの方が大きな街でした。
民宿のような、客同士も仲良くなれる
憩いの場所でした。
ラウンジに初代の写真や
魚拓が額に入れられていました。
建物は「Heritage Building」に
指定されているので、保存されるはずです。
また、あのトイレに行けるといいのですが、、
ストレリチア、極楽鳥花、
近所の家ではいつもダブルのが咲いています。
「ブギーボード」日本では「ボディーボード」?
サーフボードの軽くて小さいやつですね。
はて、どこが発祥の地でしょう?
マーラマ・ポノ🙏 まはろ なー あくあ
♫マヒナ オ ホク♫の月から、
そして、いにしえの日系人の夢から
元気をもらいましょ
まはろ あぬい ろあ〜