あろは あわけあ かーこう
今日も海は荒れていて
ラアロア(マジックサンド)ビーチの海に入っていたのはサーファー二人のみ
砂も一段とえぐれて、意地悪岩場になっていました。
昨夜はホノコハウハーバーの南、アルラ・ビーチに夕日を見に、、
涅槃会(ねはんえ)お釈迦様入滅の日、スペシャル
ボートがいつも出入りしているので
出船入船が絵になります。
真面目にハイキングすると、ブローホールが見られる所へ行けるはずです。
15年ぶりに行ってみたら、
白いペンキの点を辿ることができる道しるべができていました。
ケアウホウ ストア(Sasaki store)はケアウホウ・マウカ
ケアウホウ は海から山までのアフプアアの名前なので、、
ママラホア・ハイウェイの海側、TongWeTong墓地の隣
初代、佐々木ヨシスケさんは
1885年 15歳の時、ホノルルに移民
その後、コナに来て大工として棺桶、貯水槽などを作る
1903年 ケアウホウ ストアの隣の墓地のアーチを建造
1915年 大福寺建造の中心となって活躍
1918年 妻のクマと共にケアウホウ・ストアを開店
実業家&建築家として成功
1947年 店をアール・デコ風に改築
ガソリンスタンド、コーヒー、マックナッツ、レコード
日用品、何でも揃う百貨店として繁盛する。
1950年 自転車をコナで初めて売る (これは一世風靡の一大事)
1967年 カアアフマヌ・ハイウェイの開通により
人の流れが変わり商売が下火になっていく。
ヨシスケさんは身長158cmほど
1973年 息子のリキオが後を継ぐ
(日本から嫁いできた人がいたそうだが
数ヶ月で帰ってしまい、こどもがいなかった)
スクールバスの停留所として
近隣の子供達がお菓子を買う店となっていた。
2009年 リキオさん亡くなる
2011年 ブラウン夫妻が店を買い取る。
昔のストアを再現し博物館のようなストアに改築
2年半で手作りクッキー5万個を売ったそうです。
それを数えているのも、すごいことです。
ゆで卵のピクルス、ハンバーガー、、、
毎週大福寺の坐禅の帰りに寄っていました。
山積みになっていた1950年代からの売れ残り商品や
クマさんの日記など、キチンと整理分類して
古っぽく作った陳列棚に並べてあって
建物や物に対するアロハ溢れるお店でした。
もちろんお客に対してもアロハ満載。。
まるで正倉院のように保存された日本の歴史。。
この店のラナイでコーヒーを飲みながら、クマさんの日記を読ませてもらっていました。
大学ノートの1ページを3つにしきり3日分ずつ、縦書きで書いてありました。
強盗に入られたり、人を雇っても続かなかったり、色々苦労があったようです。
郵便局を開設したり、常に進化していました。
コツコツと進めていた改築、復元がやっと完成した矢先
2018年に閉店してしまいました💦
というわけで今はなきケアウホウ ストアのお話でした。
建物は住居として健在。墓地の入り口のアーチも見られます。
今は郵便局の分割で住所はホルアロアになっていますが、、
ケアウホウ マウカのアホウにマカイアホウ
(同じアホウなら踊らにゃ損そん)
明日はCovid以前に亡くなった
ご近所のホスピスの患者さんの命日🙏🏻
さて、コナのホスピス・ケアは、ほとんどの人が
自宅で最後を迎えます。どういう仕組みなのでしょう?
マーラマ・ポノ🙏 まらろ なー あくあ
♬上を向いて歩こう♬を 歌いながらフラしましょ
今の時期に野草山菜、蕗のとう、とかを食べると花粉症になりにくいそうです
最後まで読んでくれはっておおきに〜