KonaHawaiiのブログ

ハワイ島コナの自然とハワイの文化、徒然なるままに

パニオロ paniolo(カウボーイ)

あろは あひあひ かこーう

月が少しずつ欠けて来ています。

La’auの月が今日でpau、明日から’Olekū

今日の海はピアの北、波があっても

カスミアジがいたり、

幼魚たちが群れから独り立ちしていたり

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ネズミフグがじっとしていました。ハリセンボンはよく見ますが、

これは珍しいかな。。

透明度はイマイチでしたが、、

今日のカイルア湾はカハルウより明るく

泳ぎやすく感じられます。

 

「パニオロ」がイスパニオロのハワイ式発音というのは

前に書きました。スペイン語を話すメキシカンが

コナの最初のカウボーイだったから、だそうです。

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新聞の写真を撮った写真

11月7日、お友達のお兄さんが亡くなりました。

日本人のパニオロで有名だったこの方

加藤ミキオさん。92歳でした。

 

毎年ニューイヤーズ・イブ(大晦日)に

お友達の家で、皆んなが集まって、おせち料理を食べる時に

ご一緒させてもらっていました。

f:id:KonaHawaii:20210105110027j:plainこれも新聞の写真のパクリです。               

パニオロ保存会の重鎮でした。

奥さんのエレンさんは現役の生け花の先生。

両脇はMr.&Mrs.Akaka、

 

Mikiことミキオさんは1928年ケアラケクアの

酪農家の家に生まれます。6歳の時から馬に乗り

乳牛を見て回ったり、仔牛を探したりという仕事を、

学校に行く前と、帰ってからも、していました。

16歳から牧場主に雇われ1日50セントで働いていました。

ワイルドな動物を扱う仕事は、

誰にでもできるものではありません。

 

1956年から北コナの山側、「プウヴァアヴァア」という、

アメリカでも一番古い牧場でカウボーイとして雇われ、

水道も井戸もない生活をしていたそうです。

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コナのプウアナフルのすぐ南にある、

一番もっこりしたプウ

45000エーカー(100万坪以上)の広大な牧場で

50年間、馬の背中に乗って働き続けたそうです。

2代の牧場主に仕えた時には、干ばつがあったり

山火事があったり、と大変だったそうです。

中でも大変な仕事は、テキサスまで行って

36頭の雄牛をコナまで連れてくること。

この時は、バージ船が使えなくなったり、

様々な問題が起こり苦労をしたそうです。

 

最後には自分が牧場主となります。 

パニオロを引退してからも、郡のコンサルタントとして

活躍しました。密猟の取り締まり、

自然保護にも尽力されたそうです。

2002年には優れたパニオロとしての受勲、

2008年にも表彰され、

ワイメアの桜祭りのヒーローとなりました。

 

私の友達は末っ子で、ミキオお兄さんとは16歳違い、

彼女が生まれた時に、ミキオさんは

もう家から出ていたそうです。

でも、歳を取ってからは仲良く行き来していたようです。

10年以上毎年、会っていたのに、

食べるのにかまけていた私、、

もっとTalk Storyしておきたかったと、悔やまれます。

 

日本人として最後のパニオロさんでした。

ミキオさんのご冥福をお祈りいたします🙏🏻

 

パニオロさん仕事帰りにバーに寄ろう

   

さて、「オラ」というハワイ語は

なんという意味でしょうか?

 

マーラマ・ポノ🙏   まはろ なー あくあ

お大切に〜、明日もいい日でありますように

マハロ ピハ!