あろは あひあひ!
秋眠暁を覚えず、、
春と違って鳥の声がうるさくないので
ゆっくり朝寝が、できる今日この頃。。
マハイウラ・ビーチ、コナ空港のすぐ北の
ケカハカイ州立公園の一番南のビーチです。
ママと6歳の男の子だけがビーチを独占
フリスビーで遊んでいます。
見てるだけで笑顔になります。
こういう所で自然に、泳ぎや潜り、波や風との付き合い方
フィッシュ・ウォッチング、ブギーボード
などを体で覚えていくのですね。
自然はたくさんのことを教えてくれます。
マハイウラ、ʻウラは赤、
赤みがかったバナナがなる木があったという説も。。
マハイはロウニンアジ、その赤っぽいのがいたのかもしれません。
一昨日も、子供のウルアはたくさん泳いでいました。
このサインの先がでこぼこ道、普通車のレンタカーでは
行かない方がよさそうです。
私のRav4は楽勝、、5分ほどの悪路ドライブ
15年ぶりぐらいです。住んでいるとなかなか行かない所、、
スピードハンプがたくさん造られていました。
こんな感じの道ですが、山道ではないので
ハワイ島の中ではそんなに悪い方ではないかな。。
昔、知り合いの家にホンダCRVで行こうとして
山道の岩の間にはまり、ニッチもサッチも行かなくなったことが
あります。「ホンダは無理」と笑われました。
そういうコナの川底道に比べれば平坦なので大丈夫
駐車場から右に入った奥のビーチへ、、
その奥にはこの家が建っています。
1800年代にマハイウラはカヌーが往来し魚を捕り
サーフィンをするのに最適の漁村でした。
その後、交通手段が馬に変わってからは少し田舎になりました。
これは、1880年にジョン・カエレマクレという漁師が建てた
「カラーヒキオラ」という家です。
1883年には最初の妻クウウイレイ・イリマと
カイルアに引っ越し、1888年にはアリイドライブの店を
買い取り、カエレマクレ・ストアを開店しました。
市民のリーダー、教師、作家としても尊敬されたそうです。
商売も成功し、1903年にこの辺りの40エーカーの土地を購入。
1936年に死亡。
その後、Magoonsが家を買い受け、1960年にはキッチンを増築
Puanani &Kapala Mangoon の家に捧げる歌として
Helen Desha Beamer が書いた曲、♬Mahai'ula ♬
Weldon Kekauoha さんが、めちゃいい感じの
ナヘナへ(ソフト)に歌っています
この家は2014年に国の史跡として登録されました。
マハイウラにはダルマオコゼの女神が棲んでいました。
Pōhaku 'o Lama という名で、漁師たちは
いつもお供えをしていました。
6・7・8月は水が黄色くなるので
女神様が生理中とみなし、近寄らなかったそうです。
この岬は Kāwili という名、サーフィンのポイントとなっています。
1992年にハイウェイからの道ができて州立公園となりました。
昔、タコを捕りに潜ったことがあります。
砂浜でプラごみ拾いを小一時間しただけで
何百ピースという破片が集まりました。
15年前に来た時には、ひとかけらもありませんでした。
飛行機から撮ったマハイウラ
フエフエランチからのアフプアアがの全容が見えます。
一昨日は雨が降りそうな天気でした。
灰色の雲が垂れ込み、まぁ灰 浦
貝塚発見!
現代人が焼いて食べたものと見られます。
Magoonsの家の裏の方で見つけました。
さて、何という貝でしょう?
マーラマ・ポノ🙏 八百万の神々まはろぬい
みなさん、まはろぴは
めけあろは ぷめはな (暖かいアロハを込めて)