KonaHawaiiのブログ

ハワイ島コナの自然とハワイの文化、徒然なるままに

マハイ’ウラ Mahaiʻula (ビーチの名)

あろは あひあひ!

秋眠暁を覚えず、、

春と違って鳥の声がうるさくないので

ゆっくり朝寝が、できる今日この頃。。

f:id:KonaHawaii:20201108133947j:plain

マハイウラ・ビーチ、コナ空港のすぐ北の

ケカハカイ州立公園の一番南のビーチです。

ママと6歳の男の子だけがビーチを独占

フリスビーで遊んでいます。

見てるだけで笑顔になります。

こういう所で自然に、泳ぎや潜り、波や風との付き合い方

フィッシュ・ウォッチング、ブギーボード

などを体で覚えていくのですね。

自然はたくさんのことを教えてくれます。

マハイウラ、ʻウラは赤、
赤みがかったバナナがなる木があったという説も。。

マハイはロウニンアジ、その赤っぽいのがいたのかもしれません。

一昨日も、子供のウルアはたくさん泳いでいました。

f:id:KonaHawaii:20201108134953j:plain

このサインの先がでこぼこ道、普通車のレンタカーでは

行かない方がよさそうです。

私のRav4は楽勝、、5分ほどの悪路ドライブ

15年ぶりぐらいです。住んでいるとなかなか行かない所、、

スピードハンプがたくさん造られていました。

f:id:KonaHawaii:20201108135620j:plain

こんな感じの道ですが、山道ではないので

ハワイ島の中ではそんなに悪い方ではないかな。。

昔、知り合いの家にホンダCRVで行こうとして

山道の岩の間にはまり、ニッチもサッチも行かなくなったことが

あります。「ホンダは無理」と笑われました。

そういうコナの川底道に比べれば平坦なので大丈夫

f:id:KonaHawaii:20201108140648j:plain

駐車場から右に入った奥のビーチへ、、

その奥にはこの家が建っています。

1800年代にマハイウラはカヌーが往来し魚を捕り

サーフィンをするのに最適の漁村でした。

その後、交通手段が馬に変わってからは少し田舎になりました。

 

これは、1880年にジョン・カエレマクレという漁師が建てた

「カラーヒキオラ」という家です。

1883年には最初の妻クウウイレイ・イリマと

カイルアに引っ越し、1888年にはアリイドライブの店を

買い取り、カエレマクレ・ストアを開店しました。

市民のリーダー、教師、作家としても尊敬されたそうです。

商売も成功し、1903年にこの辺りの40エーカーの土地を購入。

1936年に死亡。

その後、Magoonsが家を買い受け、1960年にはキッチンを増築

Puanani &Kapala Mangoon の家に捧げる歌として

Helen Desha Beamer が書いた曲、♬Mahai'ula ♬

Weldon Kekauoha さんが、めちゃいい感じの

ナヘナへ(ソフト)に歌っています

 

この家は2014年に国の史跡として登録されました。

f:id:KonaHawaii:20201108150349j:plain

マハイウラにはダルマオコゼの女神が棲んでいました。

Pōhaku 'o Lama という名で、漁師たちは

いつもお供えをしていました。

6・7・8月は水が黄色くなるので

女神様が生理中とみなし、近寄らなかったそうです。

f:id:KonaHawaii:20201108151416j:plain

この岬は Kāwili という名、サーフィンのポイントとなっています。

1992年にハイウェイからの道ができて州立公園となりました。

昔、タコを捕りに潜ったことがあります。

f:id:KonaHawaii:20201108151942j:plain

砂浜でプラごみ拾いを小一時間しただけで

何百ピースという破片が集まりました。

15年前に来た時には、ひとかけらもありませんでした。

f:id:KonaHawaii:20201108152402j:plain

飛行機から撮ったマハイウラ

フエフエランチからのアフプアアがの全容が見えます。

一昨日は雨が降りそうな天気でした。

 

灰色の雲が垂れ込み、まぁ灰 浦

 

f:id:KonaHawaii:20201108152800j:plain

貝塚発見! 

現代人が焼いて食べたものと見られます。

Magoonsの家の裏の方で見つけました。

さて、何という貝でしょう?

 

マーラマ・ポノ🙏  八百万の神々まはろぬい 

みなさん、まはろぴは

めけあろは ぷめはな (暖かいアロハを込めて)