あろは あひあひ
午後7時前ですっかり真っ暗
日が沈むのが早くなりました。
フアラライロードを上って、ママラホアハイウェイを
ホルアロアの街の方に行かず
キムラ・ラウハラ・ショップの前を通りすぎると、
ドリスさんのお店が海側に見えます。
上の看板の和訳です。『ドリスのとこ』
「デビッド・オオタが1948年に開いたストア、娘の名をとって
ドリス・プレースと名付けた。クラックシードと放課後のおやつを
買いに近所の子供が通う店となった。
ドリスは若い頃から店番を始め、高校を出ると
店を任されるようになった。
1950年代に、店内の小さい食堂では、
シェーブアイス5セント、サイミンとハンバーガー25セント
ツナサンド15セントで提供されていた。
70年近く、ドリスは地域の人々、ママラホアハイウェイを
行き交う人、旅行者たちにサービスをしてきた。
本物の片田舎クラシックである。」
こんなお店が何十軒もありました。
昔は、徒歩で移動していて
行動範囲が限られていたので、、
マスクをして下さい、看板。
今は、氷やビールを買いに来る人が多くなりました。
メキシコ人の労働者たちも来るので
スペイン語も書かれています。
ハワイ語は、ちょっとしたアクセントに、、
車を店の前に横付けし、ビールもすぐ買えて車に積めるので
大きいストアより便利です。
昔は、クラックシードがハワイの子供達のおやつでした。
中国南方風味のドライフルーツ、赤いマンゴーピクルスなど
量り売りです。クリスタルジンジャーは船や車の酔い止めになります。
私は、アンパンを買いに、よく行っていたのですが、
3月にドリスさんは骨折をして、お店のある2階に
上がれなくなってしまいました。
Covidもあり、お店に出ていないのです。
よく会っていたので、写真を撮ったことがなく、、
今日も行ったのですが、寝てはって写真が撮れず、、、
90歳過ぎても現役、年中無休で営業してはって
元気を分けてもらっていました。
いつも、赤いパラカのシャツで
買い物をすると、オマケをつけてくれていました。
ぜひ、またお店に出て欲しいものです。
コスコの嫌いな私の、お気に入りの店です。
数少ない生き残りの食料品店です。
もう少し、続けてくださることを願っています。
お父さんの代に購入した冷蔵庫が毎日、働いています。
アメリカの昔の製品は頑丈で長持ちしていたのですね。
多分、70年くらいのビンテージ、故障もせず!
一見の価値あり
客は裏に回り買いたいのを勝手に出してきます。
ドリスの店、通り過ぎずに寄ってみて!
さて、何度もタコができるほど、このビーチのことを書きましたが、
名前は何でしたっけ?
マーラマ・ポノ🙏 マハロ ナー アクア
ドリスさんのご健康をお祈りしています。
メ ケ アロハ
みなさま有難うございます。
Have a nice weekend!